築港の下のした

築港の下のした

いまさら、というか。あらためて、というか。

築港って”島”なんですね~~~~~~。

みなと大橋から(高い場所から)あらためて築港を見ると、”島”感がすごい。

あらためて「築港って、島なんやな~~~~……」と実感。

そんな築港をぼーっと眺めてたら、なんか、築港の地上の”下”がどうなってるのか気になってきて。

調べると、「へ~~~~」な情報が出てきました!

わたし調べによると、大阪築港地上の”下”には岡山県犬島の石が使用されているそうです。

犬島は岡山市の南東にある小さな島。

現在は100人弱の人口だそうですが、最も活気があった時は(明治30年あたり)、5000~6000人くらいの人々が生活していたそうです。

この活気があった頃に何があったのかというと、そう、大阪築港の埋立工事!

大阪港の造営が行われたのは明治30~38年。

ほとんどの石材が犬島から搬出されたそうです!

当時は犬島の丁場の一部が大阪市の所有になり、瀬戸内の小さな犬島に、石屋の職人さん達がどっ!と押し寄せたそうです。

そして港周辺には遊楽街も立ち並び、活気あふれた雰囲気だったそうですよーー、楽しそう!

犬島産の石は、実は豊臣秀吉が建てた大阪城にも使用されていたそうで、「築港の防波堤に最も適している石も犬島産の石!」ということになり、大阪市が動いたそうです。
しかし、いざ、石を切り出す事になったとき、その頂上には犬石様という霊石があり、その下には天満宮もあって、この地は神域として島民に崇敬されており、採石には絶対反対!と…

2年越しに、ようやく天満宮は今の犬島本島に移し、犬石様も少し下った場所に移転する事で解決されたそうです。

そして、大阪港まで約100キロメートルの海路を往復し、多くの石を運んだそうです。

当たり前に日々を過ごしているこの”築港”ですが、”築港”ができるまでに、膨大な時間とたくさんの人の努力があったんだなぁ。と、あらためて実感!

すごいですね~~~~~

犬島、ありがとう!!!

犬島の石のおかげで、築港があるよ!!!

※犬島、現在はアートの島としてひそかに注目を集めている島だそうで…!行ってみたい!!