天保山はどうやってできた?②

天保山はどうやってできた?②

こんばんは〜。チコでございます。

2022年もよろしゅうお頼み申します

みなさま初詣には行かれましたか?

チコは築港高野山から伊勢神宮まで20社ほど詣ってまいりました。

おかげで、Mrマ○ック並の神パワーを手に入れました。

キテマスキテマス・・・

さて、前回の続きです。

ついに、滋賀の瀬田川浚渫の許可が下り、下流の大坂は大混乱!!

というのも当時の淀川は、人や物資が頻繁に行き来する京都―大坂間の主要な交通路だったのです。

上流の瀬田川が浚渫すると、浚渫された土砂は下流に流れます。

水深が浅くなると、船舶が通れない、災害が起こりやすくなるなど、数々のトラブルが予測されます。

なので大坂町奉行所も、淀川から河口までの川攫えを幕府に嘆願することに。

嘆願書は許可され、ついでに宇治川と木津川も浚渫する事となり、一世一代の大イベントに。

浚渫に当たってまず出てきたのが、費用をどうするか問題でした。

幕府に借りても良いが、毎年冥加金(今でいう税金。これがお高い)が取られてしまう・・

「それなら、いっそ自分たちで出そうやないか!」

大坂三郷の1つ天満組の提案により川浚えは自普請で行うことに。

なんとも大阪人らしいきっぷの良さであります。

言ったはいいが、莫大な費用を調達しなければいけない。

そこで大坂町奉行所は、大坂商人のハートを掴むため、この川浚えを『お救い大浚え』と呼び、

お金を募ったのです。

△このようなことが書いてある

今であればどっかの怪しい信仰宗教かと思ってしまうのですが、なんと江戸時代の大坂の町人商人にはどハマりしたそう。

天下随一の流通拠点としての大坂を衰退から守るため。

「おめーんとこが、そんだけ出すってんなら、こちとら負けちゃーおれへんわ!」

こんな生来の負けん気の強い大坂の気質が相まって、9833両(9億833万)もの大金が集まったそう。

恐ろしいほど単純ですね・・・^^;

そして、費用の次の問題は、浚渫より出る大量の土砂の処理です。

次回いよいよ天保山が登場!!

お楽しみに〜♪