築港には大正時代、超ヘビー級のスーパー銭湯があったらしい!?
という噂を小耳に挟んだので、早速調べてみた。
大正3年。激動の地(?!)築港にある日『築港大潮湯』という巨大なスーパー銭湯が誕生していたのだ。
この大浴場を作ったのは、豊臣秀吉に憧れ、野望を抱き続けていた大工の森口留吉である。
彼の口癖は「太閤さんのようにデカいことやらなあかん!」だったそう。
留吉は、大工仕事で出る鉋屑、建材・廃材をなんとか有効利用できまいかと思索し、ついに思いついたのが、それら
を燃料利用する風呂経営であった。
エコ〜〜〜〜。しかも燃料費を浮かせれるという。ナイスビジネス!
当時、関西には「スーパー銭湯」ブームの波が押し寄せてたそうで、留吉もちゃっかりその波乗っとります!
チャンスを掴む男!よっ、留吉!
築港大潮湯は、真水・海水・温水の3種類の浴槽と、滝として落とすプールの他、レストラン、映画や演芸場なども
併設していたそう。
これは、スパワというより、箕面温泉スパガ〜〜〜〜デン♪
そして、大正10年には宿泊施設も備えた新館を建設。
中央には大庭園を設け、百畳の大広間や60の小部屋に運動場、納涼場もあり、連日大賑わいであった。
外観はこんな感じだったそう↓

手前が本館で、奥が新館。
新館の建物の屋上の外周が運動場でしょうか。
森ノ宮キューズモールみたいに走れるんかな?



にしても、スポーツ・飲食・風呂・娯楽・寝室まで。
当時の人からすると、異次元のテーマパークのような施設だったのではないでしょうか。
おそらく常連さんはこんな感じだっただろう↓

そして留吉は風呂屋だけでなく、隣地での貸家事業も行い、周辺に散髪屋・うどん屋などを配置したそう。
相乗効果で町は活性化。今で言う町おこしを大正時代に行っていたというので驚きである。
こんな留吉の噂を聞きつけ、とある新進気鋭の青年が留吉に、商売の秘訣を学びたいと自宅に招待したのであった。
その青年は、なんと松下幸之助。
一体、どんな熱烈トークが繰り広げられたのだろうか。
そして、大正12年の関東大震災の際には、関東から来た被災者の避難所として無料解放した。
被災者の賄いも全て引き受けたそうだ。
築港大潮湯は人気を博していたが、新規事業に心変わりした留吉は、大正15年に神戸の「松田汽船」にあっさり売却した。
そして、その後の室戸台風の高潮被害により、築港大潮湯は、オープンから20年を経て歴史の幕を閉じたのであった。
築港大潮湯があったのは大阪港駅から南西に位置する場所。

海も近いので、風呂上がりに潮風に当たるのは最高に気持ち良かっただろうなぁ〜
記念碑が残ってるので、探してみてね!