はじめまして。
3度の飯より歴史が好き、歴女検定準1級(最近取得しました)
名はチコと申します。
これから築港の歴史をいろいろ紐解いていきますので、以後お見知りおきを♪
まずは第一弾!
天保山の成り立ちからぁ〜〜
スタートです!!

さて皆さん(浜村淳風)、日本低い山ランキング3位(泣)の天保山。実は作られた山ということはご存じでしたか?
そう、天保山は人口山。しかも、大坂人の手によって作られたのです。
その謎を解く鍵は天保山から遠ーーーーく離れた琵琶湖にあるのです。
時は江戸時代。
琵琶湖の唯一の河川である瀬田川は、宇治川、淀川を経て分流となり大阪湾に流れ出ます。
その分流のひとつが安治川。

昔の瀬田川は川幅が狭く、非常に流れの悪い川だったそう。
大雨が降る度に琵琶湖の沿岸では浸水が起こり、甚大な被害を与えていました。
その被害を除くために、度々幕府へは瀬田川の浚渫の嘆願書が出されていたそうです。
一方、淀川下流の大坂は、土砂が増えて洪水が起きやすくなるため、瀬田川浚渫には大反対!
上流域と下流域の間では長年に渡り対立が続いていたそうです。
そして・・庄屋の藤本太郎兵衛親子の尽力もあり、瀬田川浚渫の許可がついに降りることに!
この知らせを受けて大坂人は大慌てのしっちゃかめっちゃかの大混乱。
続きはまた今度〜